2014年3月29日土曜日

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第1章 ボストンの公立学校のオープンデータと開かれた論議  ジョエル・マホーニー 私は民衆を固く信じている。もし真実が与えられるのであれば、彼らはいかなる国家の危機に直面しても頼りにされる存在となるであろう。大事な点は、彼らに本当のことを伝えることだ。 ―エイブラハム・リンカーン 迷路の中で 2011年三月、ボストン市は問題を抱えていた。『ボストン・グローブ』紙は、「入学、ボストンにおける学校の割り当てという迷路の中」と題して、ボストンの学校割り当て政策の危機的な見解を提示したマルチメディアで展開しているシリーズの特別号をちょうど発行したばかりだった(Boston Globe, 2011)。そのレポートは、ボストンの公立学校に入学した十三組の家族の輪郭を描いており、彼らが学校の複雑な選択プロセスを切り抜ける際、彼らが感じた希望と失望をたどっている。家へ族のインタビューから引用した次の言葉が、それを示している。私は筋の通ったプロセスなどほとんど信じていない。だから私は、この混乱の中でも、どうにかして解決することをただ望むにすぎない。 ―マリア・グラント 学校において「宝くじ」という言葉は、ちょうど、子どもといっしょにサイコロを転がして目を狙い、あとは最善の結果を期待することなのだろうか?我々がいる状態は、ほとんどがそのようなものだ。 ―スティーヴ・ラッセル もし我々が望む方法で解決しないなら、最後には、都市を去ることもありうるであろう。 ―アンディ・ベルグ そのレポートは、学校の実績を示すデータと個人の物語が相互に影響する地図を用いて、学校を割り当てる政策がいかに複雑であるか、説得力のある図を描いていた。このことは、市民の満足感と政府への信頼に関して、掛け金が高いことをも表している。 このような不満は、学校の部局にとって初耳ではなかった。学校の割り当て政策の起源は、1965年の人種不均衡法にさかのぼり、ボストンの公立学校に強制的な統合を命じて、暴動と抵抗を町中に引き起こした。(Hoover institution、1998)。反対がとても執拗だったので、1971年の『タイム』誌の表紙になった。1974年に、地方裁判所は、ボストンの公立学校が憲法に違反して隔離されていたことが明らかになったという判決を下し、状況を改善させるために、市では生徒のバス通学輸送を強制した。問題が最終的に解決したのは、生徒のバス通学輸送が廃止された1988年になってからである。その頃までに、学区は十万から五万七千に縮小し、学生の28%が白人だった(Hoover institution、1998)。 物流の問題―数多くの学生を限られた数の学校に配分すること―のようにみえることは、人種、平等、機会という、難解だが興味をそそられる社会問題に触れることになる。地区の統合を犠牲にしてまで、多様性を追い求めるべきだろうか?裕福な父兄ならまちを出て行くことができるのに、人種差別廃止を地元レベルで施行するべきだろうか? 都市は適切なバランスを決定する責任を負うべきか?1954年のブラウン対教育委員会裁判で、最高裁判所の画期的な判決文によって示されたように、これらの疑問は、長くて異論の多い歴史があった。子どもを学校に送るための簡単な法令は、社会の分裂を起こすような最たる問題を含んでいるのである。 『ボストン・グローブ』紙は、2011年のレポートで学校の割り当て問題を強調表示することによって、長く続いた問題を公の注目に回復した。そのレポートは、市役所での談話はハイレベルな議論に火花を散らすことになり、学校の部局にとって問題を無視することは困難となった。 批判は、応答することを要求した。 Code for America が進行中 Code for Americaが進行中 2011年一月、ボストンで Code for America が市と十一ヶ月の契約ではじまった。私は公教育を中心に画期的なアプリケーションを構築すべく集まった五人組のフェローの一人であり、The Mayor's Office of New Urban Mechanics とボストン公立学校と提携した。我々の目的は、チームメイトのスコット・シルバーマンの言葉を引用するなら、教育サービスを、簡単で、美しく、利用を簡単にすることである。 私たちの主要なプロジェクトは、学生情報に加えて、革新的なサービス―学生向けの App Store のような―を築くことを開発者に認める「信頼できる枠組み(トラスト・フレームワーク)」である。3 月にグローブ紙の記事が出る頃までには、しかしながら、このプロジェクトの実行可能性は疑わしかった。ボストンの公立学校の弁護士はデータを開示することの実現性に対して慎重なスタンスをとっていた。そこで我々はオープンデータとはあまり関係のない他のプロジェクトに焦点を移した。 しかしながら、グローブ紙のレポートが発行された後に我々が感じたのは、オープンデータにかんするデリケートな話題を取り巻きながら、市とともに進歩する機会であるということである。教育長は学校の部局と初期に行ったミーティングで、学校の発見するプロセスの間ずっと父兄の役に立つアプリケーションの構築を提案した。特に現在使えるツール―父兄が使う二十八ページもの冊子、「私の学校は何?」(“What Are My School”)と呼ばれる地元で作られたボストン公立学校のウェブサイト―がもっと望まれている状況を考慮にするなら、我々はそのプロジェクトが的確なルールを明らかにする絶好の機会であると理解した。2011年7月、我々は、父兄が家の住所と評価レベルを入力すれば、個別に的確な学校のリストを調べるのを許可するプロジェクトに着手した。我々はそれを“DiscoverBPS”と呼んだ。 我々の研究は、父兄の基本的な関心が学校の質と学校の位置の二つであることを示した。これらの関心を扱うために、我々は、通学距離と時間(徒歩とバス)の詳細な情報はもちろん、マサチューセッツ総合評価試験、教師と生徒の比率、授業時間、放課後のプログラム、そのほか、実績の測定法などを含めた。我々は、徒歩区域の複雑な政策(学校の半径以内に住む学生に大きな優位を与えるもの)について父兄が理解するのを助けるために「徒歩圏マッ プ」を作った。それから、各学校、各学年における歴史的な合格率を付け加えた。後者の統計値は最も物議を醸すこととなった。学校の部局は、入学倍率が「子どもの将来を賭とする」意味を付け加えることを心配した。我々が立ち向かったのは、父兄が適切な情報抜きに十分な情報を得たうえでの決定をすることなど不可能であり、透明なデータがくじ引きのプロセスをよりいっそう広汎なものにしてしまうことに対してである。我々が公のデーターを公表する許可を得た後でさえも、学校の部局は、「入学の見込み」という語句が扇動的であるとして、我々に統計値を「一席あたりの応募数」(このことは、百分率の代わりに、比で数値を表さなければならないことを意味した)と呼ぶように要求した。 明らかに、「オープンデータ」はグレーに変化した。 DiscoverBPS は2011年11月に開始して以来、一万五千人以上のユニーク・ビジターを得てきた。学校登録月間にはトラフィックが大幅に増大した。前後関係から、ボストンにいるほぼ同数の人数が登録したことになる。DiscoverBPS は父兄と学校関係者から称賛を得た。彼らは、直感的なユーザーインターフェイスとデータ駆動型のコンテンツが、複雑な学校選択プロセスがわかりやすくなったのを感じた。しかしながら、最も重要なフィードバックを得たのは、一 年半後であった。教育長のキャロル・ジョンソンは、DiscoverBPS が「学校の部局が父兄と関わる方法を変化させた」と私に言ったことである。Code for America のゴール―政府のサービスを、よりオープンに、効率よく、個人参加方式にすることによって、市民の関与をよりよいものにする―についてじっくり考えた時には、私はこんなにも強烈な賞賛を得るなどと考えることはできなかったものだ。 アルゴリズム規制 アルゴリズム規制 教育長が述べた意見の背景を記すことは重要である。私が彼女に会ったのは、2013年二月、ボストンの公立学校の関係者がボストンの学校の割り当て政策を徹底的に見直す提案を披露したタウンミーティングである。これらの案は、長年議論のトピックになっていたが、ようやく現実味を帯びてきたのは、2012年1月にメニーノ市長が「State of the City」のスピーチで、問題を解決すると公約した後である。 「ボストンの公立学校は、去る二十年の間にはるかに良くなりました。私が市長になったとき、父兄の多くは、子どもを学校に送りだすのに、わずか一握りの学校しかない、と考えていました。今日では、百以上もの学校がキャンセル待ちの名簿を所有しています。なぜなら、公立の学校は父兄にとても人気が高いからです。学校での卒業率はずっと決して高くなることはありませんでした。そして、この二十年で、中退率が低くなることはありませんでした。 しかし、次のレベルにシステムを移行させるためには、何かが邪魔になって立ちはだかっています。それは、市のいたるところにある学校に子どもを送り出すという、学校の割り当てプロセスです。どこの通りでも選び取ってみてください。子どもたち十人程度は、みな違う学校に通っています。親はお互いに知り合いではないでしょう。子どもも一緒に遊ぶことはないでしょう。彼らは自動車を相乗りすることができません。同じテストのために一緒に勉強をすることもできないのです。われわれは、子どもたちに役に立つ学校のコミュニティーを作ってはじめて、子どもたちを価値あるものにするのです。 今夜私は、今から一年の間に、ボストンは根本的に異なる学生割り当てプラン―家から近い学校に通っている子どもを優先する―を採用することになっている、と公約します。私は、市全域から献身的な人たちで構成されたグループを任命するようジョンソン教育長に指示しています。彼らはプランの設計を手伝い、我々を運び、移行したコミュニティーに参加するでしょう。 私は、以前にも学生の割り当て案を変更することについて話したことがあることは認めます。私たちは長年にわたって数多くの改善点を作ってきました。2012年はこの仕事を終える年となることでありましょう」。(City of Boston、2012) この指令は、翌年に向けて、学校の部局の基本方針のレイアウトであり、私が2月に出席したタウンミーティングの内容を含んでいる。そのタウンミーティングでは、ボストンの公立学校の関係者が新しい割り当て案を提示し、父兄に感想をせがんだ。これらの提案の大部分は、校区をより小さい割り当て区域(http://bostonschoolchoice.org/explore-the-proposals/original-bps-proposals/を見よ)に分割することで、バス通学輸送問題の解決を狙った。ボストンは伝統的に三つのゾーンからなる。北、西、東である。新しい提案は、九から二十三のゾーンに渡っていた。再区画のいかなる労力と同様、境界線を引き直すのに容易な方法は全くない。学校の数が同じままであるなら、ある父兄やグループは、いつも不当な扱いを受けている感じがするであろう。ミーティングはけんか腰だった。父兄は、現在の割り当てプロセスにも、提案された割り当てプロセスにも不満を漏らした。そして、教育長のコメントが敬意を表した言葉であっても、私が市役所の会議で座っていた時に、父兄の長い列が不満を漏らすような場所で、学校の選択プロセスについて、DiscoverBPS のようなウェブサイトが、このような深くて手に負えない問題に、本当に影響を与えることができると信じるのは、とても困難だった。 面白いことに、勝利を得た案は、学校の部局のもともとのリストにはなかった。案はペン・シーによって提出された。彼は博士号を有するマサチューセッツ工科大学の学生で、社会問題を扱うためにアルゴリズムを使う研究をしており、好奇心からタウンミーティングに出席していたのだった。我々と同様に、彼が出した結論は、学校の質と位置をめぐって展開している問題が、地理的に固定された区域によって不当に対処されているのは確かであろう、というものだった。彼の解決策は、学生がまちのどこに住んでいても確実に質が高く数が保証されている選択(テストの得点や他の指標を使って学校の部局によって定義されている)を利用できるアゴリズムを使った。この問題について『ニューヨーク・タイムズ』紙のキャサリン・シーリーの記事によれば、以下である。「彼は次のように言いはじめた。『私が聞いていたのは、親は(学校に)家に近いことを望んでいるが、本当に気に掛けているのは(学校の)質についてある・・・私はこの二つの目的を合わせようとするために取り組んでいる』。彼に政治的な意図はなかった」。 ペンは学校の部局に自分が作ったアルゴリズムを提案した。学校の部局は手続きにペンのアルゴリズムを含めた。父兄はそのアイデアを受け入れ、最後には、教育委員会は2013年三月の政策で、ペンのアルゴリズム案に投票した。(そのアルゴリズムは2013年の終わりに施行される)。その決議は、五十年間の議論の中で歴史的な発展だった。 シーリーの記事はこう記している。 「コーディングのスキルを持っていても、モデルを公式化するのに全く政治的な意図のない冷静なよそ者が事態を引き受けたことが、都会の学校区で今日に直面している複雑さを測る尺度である。ボストンと同じく、数多くの地区では、良質の学校があまりにも少なく、有色人種の子どもたちの大部分は成績の低い学校に閉じ込められるなど、不平等を抱えている。その遺物を克服することは、感情的に激しく非難されてきたので、区域の線を引き直そうとする一昔前の努力は失敗した。(2005年に管轄区域はアルゴリズムを変更したが、以前は生徒の割り当てに使っていた)」。 (Seelye, 2003) この記述は、Code for America のフェローとしてボストンで行っている我々の仕事にぴったりそのまま当てはまるだろう。 データと論議 ボストンの学校の割り当てをめぐる物語は、社会問題周辺をめぐる公の論説を変えてしまうほどのオープン・データの威力を示している。『ボストン・グローブ紙』は、(父兄のインタビュー、その他とともに)学校の部局が公然と利用できるようにしてデータを使っていると、学校の部局に対して主張している。学校の部局側は、DiscoverBPS に新しいデータを開放し、提案された解決方法をめぐって、父兄たちをオープンな対話に引き込むことによって応答した。このプロセスは、タウンミーティングやセクション全体が忠実な「生のデータ」を有する www.bostonschoolchoice.org と呼ばれるウェブサイトを巻き込んだ。Mayor's Office of New Urban Mechanism の共同司会を務めるクリス・オスグッドが記したように、このデータはペン・シーのような第三者がこのプロセスで学識のある貢献をしたと認めた。オープンデータは、学校選択のデータベースにおいて、一種の API(アプリケーション・プログラム・インターフェイス)の終点として、役に立ったのである。 DiscoverBPS は「学校の部局が父兄と関わる方法」を変えたとする教育長のコメントは、(DiscoverBPS のような) データを公開するための使いやすいインターフェイスが、議論を促す際に果たす決定的な役割を反映している。学校の部局が父兄と関わる方法を変えることによって、DiscoverBPS は、学校の部局内で技術の役割―と価値―についての態度も変えた。DiscoverBPS のヴァージョン1.0の成功に基づいて、父兄のために新しいデータとツールを含むソフトウェアのヴァージョン2.0を開発するために、市は近頃私をつなぎ止めた。私は2011年にはじまったボストン公立学校での会談を現在も続けており、オープンデータを使うことはもちろん、オープンデータを可能にするツールや技術(ボストンの公立学校の IT 部門は、現在、学校と生徒の情報をカノニカル・レポジトリにさらす RESTful API を構築している)に対する大きな寛容に気がついた。最後に、コンピューターだけで割り当て政策を管理するという、学校の部局がとった選択は、技術的な解決を包含する方向に向かう大いに象徴的な歩みであることに私は心が打たれた。―アルゴリズムが各住所で唯一的確な学校のリストを生み出して以来、学校の部局が、もはや、割り当てゾーンの地図を壁にピンで留めることがないという意味を考慮しよう。 結論 ボストンでの我々の仕事は、大いに議論を引き起こすような社会的な問題をめぐっても、オープンデータがどのような触媒変化作用を及ぼすかを示した。最初は、我々は app store で全ての学生の情報を直接公開することで変化に影響を及ぼすことを試みたが、しかし、プライバシーの問題を中心として抵抗に遭い、迂回したアプローチを取らなければならなかった。現実で既存の問題をオープンデータに適用する代わりに、我々はデータの即効的な価値を証明し、そして、長年にわたる公のデータベースに意味深い貢献をすることができた。 二年半後、学校の部局は DiscoverBPS の開発に継続して投資する予定であり、オープンデータがガバナンスで果たすことができる役割の深い理解を証明している。 民主主義は、社会にかんする幅広いゴールを取り巻く形で、政策―と法規―を作成することができる我々の能力を頼みとしている。オープンデータはこのプロセスにおいて、建設的な社会議論を促進し、目標達成の透明な指標を証明することによって、重要な役割を果たしている。実際、エイブラハム・リンカーンが記しているように「真事」があれば、最も困難でやりがいのある社会問題にさえも、立ち向かうことができるのである。 著者について ジョエル・マホーニーは、起業家。Code for America の元フェロー。ボストンの父兄に子どもたちが最も良い公立学校を見つけるのを手助けする DiscoverBPS.org の考案者。企業家にビジネス許可をうまく誘導する OpenCounter.us の共同創設者。DataDonor.org における彼の仕事は、慈善寄付の新しいメディアとして個人情報の利用を調査することである。 参考 Boston Globe Staff (2011).Getting In: Inside Boston's School Assignement Maze〔Multimedia series〕.The Boston Globe. http://www.boston.com/news/education/specials/school_change/index からの引用。 City of Boston.(2012). The Honorable Mayor Thomas M. Menino: State of the City Address, January17,2012.http://www.cityofboston.gov/Images_Documents/State_of_the_City_2012_tcm3-30137/pdf からの引用。 Hoover Institution, Standord University(1998).Busing's Boston Massacre.Policy Review,98. http://www.hoover.org/publications/policy-review/article/7768 からの引用。 Seelye, Katherine Q. (2013, March 12). No Division Reguired in This School Problem. The New York Times. http:// www.nytimes.com/2013/03/13/education/no-division-reguired-in-this-schoolproblem.html?_r=0 からの引用。

翻訳:柴田重臣

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